兵法三十五箇条
兵法二刀の一流、数年鍛錬仕(る)処、今初めて筆紙にのせ申し事、前後不足の言のみ難申分候へ共、常々仕覚候太刀 筋、心得以下、任存出、大形書顕候者也。
一、此道二刀と名付事 此道二刀として太刀を二つ持つ儀、左の手にさして心なし。太刀を片手にて持ち得、
軍陣、馬上、川沿、細道、石原、人籠かけはしり、若左に武道具持たる時、不如意に候らえば、片手にて取なり。太刀を取 候事、初はおもく覚え共、後は自由に成候也。たとへば弓を射ならいて、其力つよく、馬に乗り得ては其力、凡下のわざ、 水主は、ろかいを取て其力有、土民はすきくわを取、其の力強し。太刀も取習へば力出来物也、但人々の強弱は身に応 じたる太刀を持つべき物也。
一、兵法の道具見立処之事
此道、大分之兵法、一身の兵法に至迄、皆似て同意なるべし。今書付一身の兵法、たとえば心を大将とし、手足を臣下 郎等と思ひ、胴体を歩卒土民となし、国を治め身を修る事、大小共兵法の道におなじ。兵法の仕立様、総体一同にして 余る所なく、不強不弱、頭より足のうら迄、ひとしくこころをくばり、片つりなき様に仕立る事也。
一、太刀取様之事 太刀の取様は、大指・人さし指を浮けて、たけたか・中・くすしゆびと小指をしめて持ち候也。太刀にも手にも、生死と云う 事有り。構る時、請る時、留る時などに、切る事を忘れて居付手、是死ぬると云也。生と云うは、いつとなく、太刀も手も出 会いやすく、かたまらずして、切り能き様に、やすらかなるを、是れ生くる手と云う也。手首はからむ事なく、ひぢはのびす ぎず、かがみすぎず、うでの上筋弱く、したすぢ強く持つ也。能々吟味あるべし。
一、身のかかりの事 身のなり、顔は、うつむかず、余りあをのかず、かたはささづ、ひづまず、胸を出さずして腹を出し、こしをかがめず、ひざを かためず、はたばり広く見する也。常往兵法の身、兵法常の身と云う事、能々吟味あるべし。
一、足ぶみの事 足づかい、時々により、大小遅速は有れ共、常にあゆむがごとし。足に嫌ふ事、飛足、うき足、ふみゆする足、ぬく足、おく れ足、是皆嫌也。足場いかなる難所なりとも、構ひなき様に慥ふむべし。猶奥の書付にて能くしるる事也。
一、目付之事
目を付と云う所、昔は色々在るなれ共、今云る処の目付は、大体顔に付るなり。 目のおさめ様は、常のめよりも少し細様にしてうらやかに観る也。目の玉を不動、敵合近く共、いか程も遠く見る目也。其 目にて見れば、敵のわざは不及申、両脇迄、見ゆる也。観見二つの見様、観の目つよく、見の目よわく見るべし。若し又敵 に知らすると云目在り。意は目に付、心は不付物也。能々吟味有るべし。
一、間積りの事
間を積る様、他には、色々在れ共、兵法に居付心在によって、今云る処心あるべからず。何れの道なりとも其の事になる れば、能く知る物なり。大形は我太刀人にあたる程の時は、人の太刀も我にあたらんと思ふべし。人を討たんとすれば、我 身は忘るる物也。能々工夫あるべし。
一、心持之事
心の持ち様は、めらず、からず、たくまず、おそれず、すぐに広くして、意のこころかろく、心のこころ重く、心を水にして、折 にふれ事に応ずる心也。水にへきたんの色あり。一滴もあり。蒼海も在り。能々吟味あるべし。
一、兵法上・中・下の位を知る事。 兵法に身構在り、太刀にもいろいろ構を見せ、遅く見え、早く見ゆる兵法、是下段と知るべし。又兵法こまかに見え、術を てらひ拍子能き様に見え、其の品きき在りて見事に見ゆる兵法、是中段の位也。上段之位の兵法は、不強不弱、かどらし
からず、はやからず、見事にもなく、悪敷も見えず、大に直して静に見ゆる兵法、是上段也。能々吟味有るべし。
一、いとがねと云う事 常に絲がねを心に持べし。相手毎に、いとを付けて見れば、強き処、弱き処、直き処、ゆがむ処、はる処、たるむ処、我が 心をかねにして、いとを引きあて見れば、人の心能く知るる物也。其かねにて、円きにも、角なるにも、長きをも、短きをも、 ゆがみたるをも、直なるをも、能く知るべき也。工夫すべし。
一、太刀之道の事 太刀の道を能く知らざれば、太刀の心の儘に振りがたし。其上つよからず、太刀のむねひらを不弁、或は太刀を小刀に仕 ひなし、或はそくいべらなどの様仕付ければ、かんじんの敵を切る時の心に出会いがたし。常に太刀の道を弁へて、重き 太刀の様に、太刀を静にして敵に能くあたる様に、鍛錬有べし。
一、打とあたると云う事 打とあたると云事、何れの太刀にてもあれ、うち所を慥に覚え、ためし物など切る様に、おもふさま打つ事なり。又あたると 云事は、慥なるうち、見へざる時、いずれなりともあたる事有り。あたりにも、つよきはあれども、うつにはあらず、敵のみにあ たりても、太刀にあたり手も、あたりはずしても不苦、真のうちをせんとて、手足をおこしたつる心なり。能々工夫すべし。
一、三つの先と云事 三つの先と云ふは、一つは、われてきの方へかかりての先也。二つには、敵我方へかかる時の先也。又三つには我も懸り、
敵も懸る時の先也。是三つの先なり。我かかる時の先は、身は懸る身にして、足と心を中に残し、たるまず、はらず、敵の 心を動かす、是懸の先也。又敵懸り来る時の先は、我身に心なくして、程近き時、心をはなし、敵の動きに隨ひ 、其儘先に成べし。又互に懸り合時、我身をつよく、ろくにして太刀になり共、身にてなり共、足にて成り共、先になるべし。 線を取る事肝要也。
一、渡をこすと云事
敵と我と互にあたる程の時、我太刀を打懸て、との内こされんとおもはば、身も足もつれて、身際へ付くべき也。とをこして 気遣いはなき物也。此類跡先の書付にて、能々分別有るべし。
一、太刀に替わる身の事 太刀にかはる身と云は、太刀を打たす時は、身はづれぬ物也。又身を打と見する時は、太刀は迹より打心也。是空の心 也。太刀と身と心と一度に打つ事はなし。中にある心、能々吟味すべし。
一、二つの足と云事 二つの足とは、太刀一つ打内に、足は二つはこぶ物也。太刀乗りはずし、つぐも、ひくも、足は二つの物也。足をつぐと云 心これなり。太刀一つに足ひとつづつふむは、居付きはまる也。二つと思へば常にあゆむ足也。能々工夫あるべし。
一、剣をふむと云事 太刀の先を足にて不まゆると云ふ心也。敵の打懸。太刀の落ちつく処を、我左の足にてふまゆる心也。ふまゆる時、太刀 にても、身にても、心にても、先を懸るくれば、いかようにも勝位なり、此心なければ、とたんとなりて悪敷事也。足はくつろ ぐる事もあり、剣をふむ事度々にはあらず。能々吟味在るべし。
一、剣をふむと云事
太刀の先を足にてふまゆると云ふる心也。敵の打懸太刀の落ちつく処を、我左の足にてふまゆる心也。ふまゆる時、太刀 にても、身にても、心にても、先を懸くれば、いかようにも勝位なり、此心なければ、とたんとなりて悪敷事也。足はくつろぐ る事もあり。剣をふむ事度々にはあらず。能々吟味在るべし。
一、陰をおさゆると云事 陰のかげをおさゆると云事、敵の身の内を見るに、心の余りたる処もあり、不足の処も在り、我太刀も、心の余る処へ気を
付くる様にして、たらぬ所のかげに其の儘つくれば、敵拍子まがひて勝能き物也。されども、我心を残し、打つ処を不忘所 肝要なり。工夫あるべし。
一、影を動かすと云事 影は陽のかげなり。敵太刀をひかへ、身を出して構時、心は敵の太刀をおさへ、身を空にして、敵の出たる処を、太刀に てうてば、かならず敵の身動出なり。動出れば勝事やすし。昔はなき事也。今は居付心を嫌て、出たる所を打也。能々工 夫有るべし。
一、弦をはづすと云事 弦を はづすとは、敵も我も心ひつぱる事有り。身にても、足にても、心にても、はやきはづす物也。敵おもひよらざる処にて、能く はづるる物也。工夫在るべし。
一、小櫛のおしへの事 おぐしの心は、むすぼるをとくと云ふ儀也。我心にくしを持て、敵のむすぼらかす処を、それぞれにしたがひとく心也。むす ぼると、ひきはると、似たる事なれども引ぱるは強き心、むすぼるは弱き心、能々吟味有るべし。
一、拍子の間を知ると云事 拍子の間を知るは、敵によりはやきも在り、遅きもあり、敵にしたがふ拍子也。心おそき敵には、太刀あひに成と、我身を動
かさず、太刀のおこりを知らせば、はやく空にあたる、是一拍子也。敵気のはやきには、我身と心をうち、敵動きの迹を 打つ事、是二のこしと云也。無念無想と云は、身を打様になし、心と太刀は残し、敵の気のあひを空よりつよくうつ。是無 念無想也。又おくれ拍子と云ふは、敵太刀にてはらんとし、請んとする時、いかにもおそく、中にてよどむ心にしてまを打事、 おくれ拍子也。能々工夫あるべし。
一、枕のおさへと云事
枕のおさへとは、敵太刀打ださんとする気ざしをうけ、うたんとおもふその処のかしらを、空よりおさゆる也。おさへよう、心に てもおさへ、身にてmおさへ、太刀にてもおさゆる物也。此気ざしを知れば、敵を打つに吉、入るに吉、はづすに吉、先を 懸るによし、いづれにも出合ふ心在り。鍛錬肝要也。
一、景気を知ると云事
景気を知ると云は、其場の景気、其敵の景気、浮沈、浅深、強弱の景気、能々見知べき物也、いとがねと云は常々の儀、 景気は即座の事なり。時の景気にみ請ては、前向てかち、後ろ向てもかつ。能々吟味有るべし。
一、敵に成ると云事 我身敵にして思ふべし、或は一人取籠か又は大敵か、其道達者なる者に会ふか、敵の心の難堪とおもひ取るべし。敵の 心の迷ふおば知らず、弱きをも強きとおもひ、道不達者なる者と見なし、小敵も大敵と見ゆる。敵は利なきに利を取付る事
在り。敵に成て能く分別すべき事也。
一、残心放心の事 残心放心は事により時にしたがふ物也。我太刀を取て、常は意のこころをのこす物也。又敵を慥に打時は、心のこころを はなち、意のこころを残す。残心放心の見立、色々在物也。能々吟味すべし。
一、縁のあたりと云事 縁のあたりと云は、敵太刀切懸あひ近き時は、我太刀にてはる事も在り、請る事も在り、あたる事も在り、請もはるも、あた るも、敵を打つ太刀の縁とおもふべし。乗るも、はづすも、つくま、皆うたんためなれば、我身も心も太刀も、常に打たる心也。 能々吟味すべし。
一、しつかうのつきと云事 しつかうのつきとは、敵のみぎはへよりての事也。足腰顔迄も、透なく能つきて、漆膠にて物を付くるにたとへたり、身につ かぬ所あれば、敵色々わざをする事在り。敵に付く拍子、枕のおさへにして、静なる心なるべし。
一、しうこうの身と云事 しうこうの身、敵に付く時、左右の手なき心にして、敵の身に付べし。悪敷れば、身はのき、手は出す物也。手を出せば、 身はのく者也。若し左の肩かひな迄は、役に立べし。手先にあるべからず、敵に付拍子は、前におなじ。
一、たけくらべと云事 たけをくらぶると云事、敵のみぎはに付時、敵とたけをくらぶる様にして、我身をのばして、敵のたけよりは、我たけ高く成 る心、身ぎはへ付拍子は何も同意也。能々吟味有るべし。
一、扉のおしえへと云事 とぼその身と云は、敵の身に付く時、我身のはばを広くすぐにして、敵の太刀も身も、たちかくすやうに成て、敵と我身の間
の透のなき様に付くべし。又身をそばめる時は、いかにもうすく、すぐに成て、敵の胸へ我肩をつよくあつべし。敵を突たす 身也。工夫有るべし。
一、将卒のおしへの事 将卒と云ふは、兵法の理を身に請ては、敵を卒に見なし、我身将に成て、敵に少しも自由にさせず、太刀をふらせんも、 すくませんも、皆我心の下知につけて、敵の心にたくらみをさせざる様にあるべし。此事肝要なり。
一、うかうむかうと云事 有構・無構と云うは、太刀を取身の間に有る事、いずれもかまへられども、かまゆるこころ有によりて、太刀も身も居付者なり。 所により、このことにしたがひ、いずれに太刀は有とも、かまゆると思ふ心なく、敵に相応の太刀なれば、上段のうちに三色、
中段にも下段にも三つの心有り、左右の脇までも同時なり、爰をもってみれば、かまえはなき心也。能々吟味有べし。
一、いわほの身と云事 岩尾の身と云は、うごく事なくして、つよく大なる心なり。身におのづから万里を得て、つきせぬ処なれば、生有る者は、皆 よくる心有る也。無心の草木迄も根ざしがたし。ふる雨、吹風もおなじこころなれば、此身能々吟味あるべし。
一、期をしる事
期をしると云う事は、早き期を知り、遅き期を知り、のがる期を知り、のがれざる期を知る、一流に直道と云極意あり。此事 品々口伝なり。
一、万里一空の事 万里一空の所、かきあらわしがたく候らへば、おのずから御工夫なさるべきものなり。右三十五箇条は、兵法之見立、心持 に至るまで、大概書記申候。若端々申残す処も、皆前に似たる事どもなり。又一流に一身仕得候太刀筋のしなじな口伝等
は、書付におよばず。猶御不審之処は、口上にて申しあぐるべき也。
寛永十八年二月吉日 新免武蔵玄信判