Sobre el originador
Musashi Miyamoto 1584 – 1645 Espadachín del período de Edo.
Después de eso, como resultado de la formación de 30 años de formación práctica, completó su propia guerra como «Hyoho Niten Ichi-ryu» en sus últimos años. La nota de guerra «Gorin no sho» escrita por él en Kumamoto Reigendo sigue siendo leída en todo el mundo Musashi Miyamoto ha hecho un talento sobresaliente no sólo para la habilidad de espada sino también para escribir, dibujar y esculpir.
◎細川家伝統『兵法二天一流』(山東派)
―系譜―
流祖 新免武蔵藤原玄信
第二代 寺尾求馬助信行
第三代 寺尾郷右衛門勝行
第四代 吉田善右衛門正弘
第五代 山東彦左衛門清秀
第六代 山東半兵衛清明
第七代 山東新十郎清武
第八代 青木規矩男久勝
第九代 宮川伊三郎規心
第十代 稗島政延伊心
第十一代 小関茂義天心
―縁起―
『逍遙館』館長小関茂義の恩師、大塚寅之助先生の道場に第九代、宮川伊三郎規心先生が訪ねてこられて、「ここで、二天一流を学ぶように」と云われ、道場で稽古が始まりました。昭和四十六年の事です。
第十代を継がれたのが、大塚寅之助先生の一番弟子である稗島政延伊心先生です。現在「熊本武蔵塚武道場」にて、同じく大塚寅之助門下で後見の小森田澄男師範と共に、指導されています。
逍遙館 館長 小関茂義は、大塚寅之助先生との御縁により、兵法二天一流と出会い、平成23年、稗島政延伊心先生より、免許皆伝を授かり、第十一代師範となりました。以後、『逍遙館』の稽古に組み入れました。
また、兄弟道場である、カナダ・モントリオール大東流合気武道『光隆館』(館長メドハット・ダーウィッシュ師範)には、当館長により細川家伝統『兵法二天一流』が伝えられています。